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1932(昭和7)年、ステンレス鋼の生産を目的に設立された日本金属工業。その歴史は、そのまま日本のステンレスの歴史にあてはまる。戦後の高度経済成長とともに急成長を遂げる一方で、ステンレス不況に長く苦しむ時代もあった。75周年を迎えた今、ステンレス業界は景気拡大や中国などの経済発展に伴い、再び黄金期を迎え、同社も新たな礎を築きつつある。4月に就任した義村博社長に、日刊工業新聞社千野俊猛社長が、76年目からの日本金属工業(日金工)の進む道を聞いた。

千野:
創立75周年おめでとうございます。

義村:

ありがとうございます。
千野:
75年前のスタート時の御社はどのような形だったのですか。

義村:

銅や真ちゅうを作っていた横浜工業と、ニクロム線を製造していた日本電熱線製造が合併して発足しました。ニクロム線はその会社の登録商標でした。ステンレスの主原料であるニッケルとクロムに強いのも、もともとニクロム線を作っていたからです。その横浜工業でステンレス鋼板を圧延したのが、国産化の始まりでした。
千野:
ステンレス産業が本格的に発展し始めたのはいつごろですか。

義村:

昭和30年代から一般に普及が始まりました。圧延機で薄板を作れるようになって、用途が広がっていきました。ただ、精錬工程はなかなか難しい。当社はいち早くAOD(酸素精錬炉)法を実用化し、安い原料を使えるようになりました。ほかにも日本で初めて導入したプロセスは多いですし、いろいろなステンレスの鋼種も開発してきました。技術では世界に先駆けていました。
千野:
義村社長が入社された当時は、その真っ只中だったのですね。

義村:

70年のことでしたが、当時はまだ生産量は少なかったですね。そこから飛躍的に伸びていくわけですが、まさに、新しいものが次から次へと出てくる感じでした。
千野:
ところが、その後、過当競争で大変な時期に突入する。

義村:

うま味のある商売でしたから、大手高炉メーカーも参入してきました。すると一気に需給がアンバランスになり、価格がどんどん落ちていきました。
千野:
あのころは、構造的に日本でステンレス事業は成り立たないとも言われていましたね。

義村:

今、思えば大変でした。ただ、欧州では業界再編を繰り返し、メーカーがかなり集約されました。昔は一つの国に2社くらいあったのが、今は欧州全土で4社しかありません。日本も新日本製鐵と住友金属工業のステンレス部門が一緒になって新日鐵住金ステンレス(NSSC)が誕生し、5社体制になり、かなり変わりました。
▲衣浦製造所(愛知県)全景
千野:
日金工は他社の資本も入らず、独力で乗り切りました。

義村:

一つは工場の売却で、十分な資金を手当できたという面があります。当社の工場は横浜と仙台に始まり、その後、川崎、相模原(神奈川県)、そして今の衣浦(愛知県)に移っていったという歴史があります。主力工場を移転するたびに、旧工場跡地を売却できたことは幸運でした。
千野:
自助努力もあったのでは。

義村:

ほかの会社もそうだと思いますが、とにかくコストを下げ、堪え忍びました。それから、同業他社とも互いに連携し合い、余剰設備は融通し合ったりと、ムダな過当競争はしないようにしました。最近は生産する品目も得意分野に絞り込み、当社は300系(ニッケル系)と200系(ニッケルGBマンガン系)に特化しています。中でも、省ニッケル鋼と呼ぶ200系は、高騰するニッケルの使用量を削減できるため、300系からの置き換えが進んでいます。
千野:
そうしたすみ分けが可能になった理由は。

義村:

各社の生産プロセスが若干異なることから、プロセスの違いに合わせた製品を作るようになりました。どの製品を作るかはそれぞれの会社が決めました。それから、NSSCの誕生で、リーダーカンパニーが業界に現れたことも大きいですね。リーダーのポリシーがしっかりしていて、いたずらに市況が乱れることが無くなりました。われわれも安心して独自の事業に専念できるようになりました。
千野:
世界的な再編の動きはどうなっていますか。

義村:

欧州が4社に再編されたのも、買収ではなく企業統合でした。一緒にならなければ、競争には勝てないという共通認識があったからです。そのためステンレスの世界では、高炉の業界のように敵対的買収のケースはありませんでした。
千野:
今後はどうなると見ていますか。

義村:

敵対的買収が出てくるかもしれません。買収者が狙っているのは日本の技術。設備ができればモノができると思うのは大間違い。何を作るのではなく、何をどう作るのかが極めて重要です。そのためには技術の蓄積が必要。それを欲しがっている会社は、たくさんあるのではないでしょうか。ただ、株式の大規模な買付行為等であっても、それが当社の企業価値を向上させ、株主の利益につながるものであるならば、たとえ技術の流出があっても問題ないのですが・・・。当社も買収防衛策を6月の株主総会で提案しますが、基本的には当社を十分理解していただいている株主を大切にしていくことが大原則です。
千野:
ところで、最近の業績はいかがですか。

義村:

07年3月期は売上高、営業利益、経常利益が過去最高でした。売上高経常利益率が9・0%で、2ケタまでもう少しでした。
千野:
絶好調のようですが、どう評価していますか。

義村:

まず、前社長の宮田会長がグループの生産加工拠点を衣浦製造所に集約する方針を打ち出し、この5月に全ての集約を完了しました。さらに、原料価格を最終商品の価格に連動させるサーチャージ制度を導入するなど、在任の4年間でいろいろなことを手がけていただきました。その成果が業績に出てきたわけです。ただ、原料のニッケル相場が高騰し、その影響で、経常利益に60億円の在庫評価益が上乗せされています。本当の実力はその分を差し引かないといけないのですが、独自商品の拡販などでかなりの実力がついてきました。社員も自信がついてきたようです。

千野:
今期はいかがですか。

義村:

増収を見込んでいますが、在庫評価益が減るので、若干の減益になります。しかし、実力ベースの利益は上がってきます。また、特別利益で相模原工場の売却益が入ってきますので、当期利益は過去最高になる予定です。
千野:
生産量はどうですか。

義村:

量はほぼ横ばいを見込んでいます。当社は量を追い求めず、中身を高付加価値品に切り替える戦略を進めているためです。国内の需要自体は横ばいかせいぜい微増でしょう。
千野:
海外向けは。

義村:

輸出が全体の4割を超え、最近も伸びてきています。ですが、国内の顧客もいるのでバランス良く伸ばしていきます。世界的に見れば、需要は高水準ですが、当社は国内外のバランスを重視していきます。
千野:
衣浦製造所への集約効果はどの程度出ていますか。

義村:

2006年度を初年度とする中期経営計画では、2008年度に30億円の効果を見込んでいますが、前期で25億円までに達しています。
千野:
設備投資の計画は。

義村:

まずは老朽化した設備に手を入れないと。それから、来年8月には溶融還元炉でニッケルを回収する事業も始めます。その設備にも投資します。粉塵からニッケルを回収するのですが、昨今のニッケル高騰で十分にペイできます。リサイクル率も相当高くなります。
千野:
懸念材料はありますか。

義村:

ニッケルがまだまだ上がり続けています。このままではステンレス価格が高すぎ、ニッケル系ステンレス離れを起こすことが心配です。顧客がクロム系ステンレスに行くか、それとも省ニッケル系に行くかと考えていますが、省ニッケル鋼は加工性・溶接性などがいいことから、その評価は日増しに高まっています。それから、逆にニッケル相場が暴落すると、今度は在庫評価損が発生し、利益が激減する懸念もあります。
千野:
ニッケルの調達も難しくなるのですか。

義村:

調達の不安はありません。価格だけの問題です。ただ、経営上のリスクとしては、常に頭の中に入れておかないといけません。

千野:
続いて、社長ご自身の企業哲学についてお尋ねします。長年、技術担当者として会社を支えて来られましたが、まず、その技術についてのお考えを伺えますか。

義村:

主に生産技術の担当者として、品質を引き上げることに力を入れてきました。その中で感じたことは、顧客によって品質への要求に大きな差があることです。高品質を求めてくる顧客には、先輩が残してくれた技術の蓄積がものすごく役に立ちました。一方で、使い方によっては、それほど高い品質を求められていないんですね。顧客の要求は千差万別です。ですから、われわれは高品質で客先ニーズに合った製品で行くと固く決めました。
千野:
モノづくりにおける現場力の強化ついては、どのような考えをお持ちですか。

義村:

それは永遠の課題です。何かがあれば、そこには必ず課題があり、それを解決すると、また新たな課題が生まれる。その繰り返しです。生産条件も工場や工程によってすべて変わります。焼き物の世界でも、同じものが場所によって色が変わって焼き上がることがあるでしょう。それと同じで、いかに製品を均一にするかを目的に現場は頑張るわけです。
千野:
モノづくりの人材面での不安はありませんか。昨今は07年問題と呼ばれるように、団塊世代の大量定年で技術継承の懸念もあります。

義村:

生産ラインの人材はかなり若返っており、07年問題の不安はありません。当社では教育にも力を入れており、技術の継承もスムーズに進んでいます。かつて会社が大変な時には、教育費から削るということもありましたが、最近は「お金をかけなくても、できることはたくさんある」ということで、社内の発表会などを開催し、効果的な人材教育を行っています。
千野:
若い社員との交流は。

義村:

実はたばこを吸うもので、社長になる前はよく喫煙室で若手社員と歓談していました。飲みに行くのも好きな方。できる限り、コミュニケーションを取るようにしています。
▲衣浦製造所 本事務所

千野:
新卒者の採用状況はいかがですか。

義村:

本社採用は年間10人程度です。正直言って、採用は大変です。特に金属工学の人材が不足しています。私も大学は金属材料工学の出身です。日金工は独立系の会社で規模もそこそこ。それにステンレスはきれいだなとほれ込んで入社しました。
千野:
就職を考えている学生へのメッセージを。

義村:

当社は国内で見られている以上に海外での知名度が高い。昔から多くのメーカーと交流したり、技術指導したりしましたから。それに、創立以来、ずっと独立系できたことに社員全員が誇りを持っています。独立精神が当社の柱になっています。そうした社風や社歴に魅力を感じてもらえるとうれしいですね。


日刊工業新聞社
社長 千野 俊猛

日本金属工業株式会社
代表取締役社長 義村 博