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地域応援隊

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埼玉西部地域特集
埼玉西部地区ビジネス交流セミナー

9月26日(木曜日)付 日刊工業新聞 13面〜15面  企画特集から


 7月25日、川越東武ホテル(川越市)で、埼玉産業人クラブ、川越商工会議所、日刊工業新聞社が共同主催する「埼玉西部地区ビジネス交流セミナー(テーマ=中小企業の経営力)」が開催された。ビジネス講演一では、埼玉富士会長の堤朗氏が「今、中小企業経営者に求められる資質とは―夢を形に」を講演。ビジネス講演二では中里スプリング製作所社長の中里良一氏が「日本一楽しい会社を目指す!―ハンデをプラスに変える発想法」を講演した。地元経営者などおよそ120人が参加。講演終了後には懇親会が開かれ、参加者による活発な交流が行われた。


今、中小企業経営者に求められる資質とは −夢を形に

埼玉富士会長 堤 朗氏

【自動車整備工場経営が起点】

 長靴と作業着がトレードマークになっているくらい、動いているのが好きなんです。今年11月で満80歳になりますが、今も頑張っています。
これまでに、会社は20数社つくりました。業種はほとんど違います。趣味と道楽と仕事がごっちゃになっていて、どれが本業か分からない生き方です。いろいろな経験をしてきましたので、これまでの体験から抜粋してお話しさせていただきたいと思います。

 埼玉富士は電子機器製造業で、1970年に富士電機と一対一の出資比率でつくりました。私が35歳のときでした。それまでは家業の自動車の修理屋で働いていました。当時は自動車道の条件が悪く、砂利道でした。したがって車は壊れて当たり前。うちは大型自動車を主体にやっていましたが、1日に5台も10台もくるような状況で、人を増やさざるを得ないし、増やせば増やすほど仕事も入ってくる。修理屋の全盛期でした。

 67年前後には、38人ほどの社員がいました。当時は、家庭環境の都合で進学できない優秀な中学校卒業者がどんどん入ってくれました。しかし車が増えただけでは、38人を養えませんので、一生懸命営業もしました。

 こんなことがありました。ダンプを25台くらい持っている、ある石灰会社の仕事が欲しくて足しげく営業に通いました。そのうちに、担当課長の性格がわかるようになりました。真面目できちょうめんなのです。

 一番古い6トン車を車検にいただいたところ、驚きました。ボディーに何層も石灰が蓄積されているのです。私はその石灰を全部落とそうとしましたが、どうしても残ってしまう。そこで素手で、塩酸で洗いました。きれいに取れ、洗い流したあとに塗装するので、新車と同じようにきれいになりました。受け取りにきた運転手は「本当に、俺の車か」とびっくりしていましたよ。すると、他も車検というと堤に頼みたいとなり、全部いただくようになりました。

 

【人が気づかぬ努力】

 他では気がつかない努力もしました。例えば、作業所の近所にたまたま、顧客の課長さんの自宅がありました。夜、作業灯をつけていると課長の自宅から非常によく見えるわけです。わざとそこで残業をすると、すると次の朝「夜中までがんばっていますね。修理できていますか」と聞かれます。このように、大変喜んでいただきました。

 また、ある鉱山がダンプを20数台もっており、営業をし仕事が取れたのですが、山に来て直せという指示でした。2月の土曜日の朝で、雪が降っていましたが、朝5時半に始めて、朝7時には終えたんですね。7時半に常務がいらして「これからか」と言われます。そこで「出来上がっています」と言ったのです。次から仕事が来るようになりました。

車が会社の前を通る時故障箇所は音で認知できるんです。すぐその会社に電話し、「手入れした方がいいんじゃないか」と提案しました。じゃあ次からは頼むよということも多かったですね。たかが自動車の修理でも、工夫する。そんなことが大きな武器になったと思います。競争相手もありましたが努力し、秩父市の事業所の仕事はほとんど取ったと思います。

 

【組織作りに精を出す】

 当時から私は組織作りに関心がありました。20代前半に、秩父市の青年会で最年少会長を務めたり、「あすなろ会」という組織をつくり子どものための活動をするなど、地域活動に精を出していました。その経験から、人の輪や協調といったことを学びました。もっとも大事なのは、組織づくりだと感じていました。

 ですから、社員の誕生会をやったり旅行にいったり、野球をしたりしました。当時としては異例ですよね。QCとか5Sという言葉も制度もありませんでしたが、振り返ってみるとちゃんとやっていました。

 工場は2カ所借りていましたが、分散すると良くないと工具の管理を確認できるようにしたりし、スムーズに仕事が進んだわけです。当時としては最高レベルだったのではないかなと、今思っています。

 父と意見の対立もありました。それというのも、私の父は根っからの職人。しかも満州事変以降、兵隊にずっと行っていました。そのせいか、朝会なんてやっていると「朝からぐずぐず言うな」と言われてしまうのです。そんな環境の中で自分の考えを貫き通し、頑張ったわけです。

 68年に父は自分で新工場をつくりました。当時38人の社員のうち20数人が新工場に移動し、私はやむをえず残されました。残った8人のメンバーと一緒に、無一文でスタートしました。考えたのは、部品販売をしようということでした。盆暮れ正月なし、徹夜もやりました。そのうち仕事もどんどん増えてきて、当時の額で1140万円という手形貸し付けを、1年でなくしました。でも、人間というのは工夫して頑張れば不可能はないなと実感しました。

 私の会社は、そうやって軌道に乗りました。8人で始めた仕事が、1年足らずの間に16人に膨らみました。しかし父親の方は、20数人いたのが、半分になりました。父親は、指示をして組織を管理したりせず、仕事も取りに行かないということで、だんだん仕事が細り社員も辞めました。

 

【父の思い出と徹底したチャレンジ魂】

 忘れもしない、別れて1年もたたない68年の11月26日。うちの前の病院に大勢の社員が来ました。「どうしたんだ」と聞くと、作業中にショベルカーのバケットが折れ、たまたまその下を父親が通り、脊髄損傷になってしまったのです。その後は闘病生活で大変な思いをし、94歳で亡くなりました。最期まで図面を書いたりして元気に過ごしていました。
父親は、終戦後の23歳のころ、設計図なしでオートバイ2台つくったような人です。当時のオートバイは、前輪にスプリングがあったんですが後輪にはありませんでした。2台目は、後輪に2本のスプリングを使いました。

 これは、世界初だったのではないでしょうか。当時、ホンダの方がよく来て見ていたのを覚えています。エンジンもなかった時代で、最初の2台は、飛行機の給油のエンジンを持ってきました。それを使ったオートバイ。なかなか手に入らないものです。そんな父親の技術には私も感心しました。

 父は何でも自分でやる人でした。私の性格は父に似たのでしょう。会社を20数社つくったのも、やりたいのです。人がやっていることを、やりたいという性格で、いろんな仕事をやりました。よくあんなことをやったものだと振り返り、われながら感心しています。
そうやって、いろんなことができたのは、ご縁なんですね。私は縁という言葉が大好きです。自分から人を嫌いになることはほとんどありません。「裏切られても裏切らない」というのが信条です。大勢の方と仲良くやっていきたい、というのが、若い頃からの文化運動の成果だったような気がします。

 

【一人では生きられない】

  ただ、運という言葉は大嫌いなんです。成功したときに「運が良い」という言葉は、聞きようによっては謙虚に聞こえます。しかし、本当は動機があり、行動があったから結果が出たのです。人から「運が良い」と言われて否定するつもりはありませんが、心の中では「何を言っているんだ。きちんと頑張ったから結果が出たのだ」と言いたい心境です。失敗したときは、動機が悪かったのか、目的、やりかた、努力が足りなかったのです。大いに反省して、違う考え方と行動を取り入れたいと思います。

 また、「疲れた」という言葉を絶対に使いません。人間というのは頑張りようによっては違った人生になると思っています。いろんな経験をしましたが、自分を決して甘やかさず、絶えず自分に厳しく考えています。実は今回、違う仕事を始める予定です。人間の能力はすごいのです。やる気があればできるということが私の実感です。

 人間は一人では絶対に生きられません。大勢の方の力をお借りして、なおかつ、自分でも努力をして、それで成り立つ物だと思っています。
目的を達成するにはできるだけ大勢の方と心をあわせてやる心構えを持てば、結構なことができると実感しています。大変つたない話で申し訳ないが、前座ということで話を終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

Next 埼玉西部地区ビジネス交流セミナー/中里スプリング製作所社長 中里 良一氏

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